The Record in my head│ 自分は誰の歯車の一部になっているのだろうか・・・と思う日々

Essey/Column

最近、よく思うのは、自分はいったい誰の歯車の一部になっているのだろうかと考えています。

 

よく言うのは、会社の歯車として働いています。なので、僕が辞めても誰かが代わりにその歯車として埋めてくれる。。。

 

そういうのをよく本で読んだり聞いたりしています。

歯車=自分の人生を損をしているとは僕は思いません。なぜなら、ここでおいうなら会社の仕組み化によって僕らのやるべきことは安易になっているからです。悪い風に言えば、結局は誰もができる仕事をこなしていることにもなりますが、その分やることは簡単・安易になると思っています。

 

結局、何が言いたいのかと言うと要はバランスが大事ということ。

 

自分が100%毎日何かの歯車として動いていると感じているのであれば、結構なストレスになるでしょう。しかし、例えば何か自分のやりたいことをしている時間があるのであれば、それはあなたにとって歯車として活動している時間なのでしょうか?

 

バランスで100:0で考えるのではなく、60:40とか50:50、30:70のように何に全力でやるのかを分けることも大切です。

 

高校1年生から受験勉強を100%フルコミットするのも確かにいいですが、そうではなく、やっぱり例えば高校1年生は全体の10%だけ勉強にコミットをして残りの90%は勉強以外のことである遊びや恋愛、スポーツなどに費やしてみるのもいいと思います。

 

結局、なんでこんな話をしたかと言うと、自分は世界のちっぽけな存在でしかないから、まあちょっとは楽しいことをするのもいいんじゃない?と思い始めたからです。

 

僕はちょいちょい大学の講義をさぼることがあります。15回の講義のうち4回までは休んでも欠格にはならないので。。。。

 

これもバランスです。自分の好きな教科であればいいのですが行きたい大学に行けば自分のしたい勉強ができると思っていましたがそんなことはありませんでした。100%自分の嫌なことをしたらそりゃストレスで毎日が嫌になります。

 

なので、毎日を僕は3:7に分けて過ごしています。3はまじめに受けて、7は基本的に頭をさぼらせています。今のところこのくらいがちょうどいいと思っています。別段講義の単位を落とすことなく普通に単位は取れているので問題もないようです。

 

実は本とかもそうですが、本の書いていある部分の10分の1くらいしか著者の言いたいことは書いてありません。残りの9割はその言いたいことを印象付けるための証拠やより分かりやすくするための具体例などが書いてあります。

 

結局、効率を求めてしまうと、どうしても無駄が出てきます。その無駄をどう過ごすのかが僕にとって人生の楽しみだとも感じています。

 

例を出すとすると、講義の授業があまりにもつまらないというとき、どうしているでしょうか???

 

まじめな人はまじめに講義を聞いているからいけないと僕は思ってしまします。半年前の僕もとてもまじめっこでした。なので、休学をしていると言っても就職しようと思っていましたが、結局戻りました。

 

まじめすぎるがゆえに人生生きていて苦しくなる時があります。なので頭をちょっとバカにするくらいがちょうどいいと思います。まあ僕のあくまで体験談なのでこんな感じの考えがあるんだなくらいでいいので片隅に入れておいてもらえると幸いです。

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